国連大学新大学院創設記念講演 「成長の限界が平和に示唆するもの」

JFUNUニュースレター2010年11月号より

国連大学と国連大学協力会は共催で、2010年9月3日、「大学新大学院創設記念式典・シンポジウム」を開催しました(後援:文部科学省、外務省、日本経済新聞社/助成:東京倶楽部)。

記念式典では、コンラッド・オスターヴァルダー学長が、「日本政府と関係各位のご努力とご協力で、国連大学は終に真の高等教育機関へと生まれ変わりました」と挨拶。続いて松浦晃一郎前ユネスコ事務局長、中川正春文部科学副大臣、吉良州司外務大臣政務官から、国連大学新大学院のスタートに祝辞が寄せられました。最後に小川素子さん(ザルツブルク大聖堂専属歌手)により、式典歌が独唱されました。

第2部の記念シンポジウムでは、1972年にローマクラブから『成長の限界』の第一段階作業を委嘱され、世界に「サステイナビリティ」という発想を提起したデニス・メドウズ博士を招き、「成長の限界が平和に示唆するもの」と題して基調講演を実施。続いて同氏の講演をもとに公開フォー ラムを行い、『成長の限界』で指摘された地球と人類のその後の状況と今後の展望について考察しました。

デニス・メドウズ博士が訴えたこと - 基調講演レポート

編集・文責 - jfUNU

国連大学新大学院への期待

40年前、私はリサーチプロジェクトを始め、世界は将来どのようになるのかということを考えた。そして2010年から2050年までの間、あるいはそれ以降の期間において、特別な対立が起こり得ると示唆した。私たちはその段階で、将来、「戦争」ではなく「平和」というものを専門職とする人の登場を予想した。

今回国連大学に来て、オスターヴァルダー学長や武内副学長から話を伺い、この大学で平和に関して具体的な教育プログラムが始まることを知った。そのまさに第一日目に参加できることを大変嬉しく思っている。私たちの地球上における歴史の中で、唯一、高度で産業化され、何世紀も平和と持続可能な開発を遂げてきた国というのは、実は、江戸時代の日本である。時計の針をその時代に戻すことはできないが、江戸期の日本には、我々が学べるたくさんのものがある。この日本に開設された国連大学新大学院が「平和」に貢献する人材を育てる中で、日本の古来の知恵が生かされるであろうことも嬉しく思う。

平和のために習慣を変える

「平和」に対して、何らかの貢献を行うことを志向する際、今までとは異なった考え方をしていく必要がある。人間はいったん習慣が身につくとそのまま続 け、あえて変えようとはしないものだ。
Profile of Dr. MEADOWS
しかしながら、我々は今、人類の歴史の中でも従来の習慣が通用しない時代に突入してきた。習慣を変えるにあたっては、3つのことがいえる。

まず1点目にこれは可能であるということ。新しい習慣を身に着けることは可能である。2つ目。ただしこれは少し考えなくてはいけない。簡単にさっとできるものではない。3つ目、最初はぎこちない。あまりしっくりこないものだ。

この3つは、平和を構築しようとするときにも同じようにいえる。これは可能である。ただそれを達成するためには考えなくてはならない。またミスを犯してしまう。そして一部の人にとっては、最初はどうもぎこちないなと思われることだろう。

私にいわせれば「平和」は最終目的地ではなく、行動パターンでありプロセスである。今までの歴史を振り返っても平和というものは、常々私たちの課題だった。平和にはさまざまな定義の仕方があるが、少なくとも3つのポイントがあると私は考えている。

第1に、暴力のない状況である。武力を行使しなくても紛争を解決できる状況をいう。第2に、人々の間に公平性が存在する状態である。第3に、社会の消費需要と供給する側の自然の再生可能性が安定したバランスを保っている状況である。ではこの3つの指標に立って、現状はどうだろうか? 我々はあまりいい功績を残していない。

この図は16-20世紀、何百万人の人が実際に暴力あるいは戦争で命を落としたのかを示している。数字に関してはいろいろ議論の余地があるかもしれないが 傾向は明らかだ。これを変えていかなくてはいけない。公平性に関してはどうか?世界は、ますます公平な場所でなくなってきている。世界人口の貧しい下位4 割が世界所得の5%を、富める上位2割が世界所得の75%を占めている。続いて、自然環境と人間社会のバランス動向を見ると、洪水や暴風やあるいは疫病等が急増し、その関係が悪化していることが読み取れる。

ではこうした状況は、将来どうなるか?1972年時点で私はMITのチームでコンピュータモデルを作り、いくつかのシナリオを想定した。世界のシステムは 今後も拡大・成長し、それは3、40年程続くと予想した。しかしながら、1900年代の慣行が変わらないとすれば、深刻な問題が近い将来起こり得るという崩壊のシナリオがひとつ。その場合、2030年頃からだんだん成長が下降していくという数字だ。

逆に持続可能な発展のモデルも作成した。そこでは環境に対して比較的バランスがとれている状況で、問題は発生しない。決してユートピアというわけではないし、対立も発生するだろうが、全般的に考えて長期的に持ちこたえられ、問題解決にまだ猶予がある世界である。

皆さんは、将来の状況をどちらに見るだろうか?バランスがとれたいわゆる持続可能な発展か、あるいは持続不可能な発展、オーバーシュート(需要過剰)という状況か。今、正しい答えはないがこれについて少し考察してみたい。

重要なのは、物理的な成長に対して我々がどう対応するかということだ。地球には限界がある。スイスの科学者マティス・ワケナゲルは、GDPその他の指標を使った「エコロジカル・フットプリント」という概念によって地球の収容能力を算出する方法を考案したが、これに照らすと、1972年の時点で人類社会は地球の収容能力に対して85%に達しているとみなされた。これが、現在は140%に達し、今やスローダウンすることは不可能な状況だ。そして、 オーバーシュートの状況が続けば続くほど、将来の世代にツケを回すことになる。

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平和構築を目指す者が考慮すべき4つの要素

平和構築を目指す人たちが考えるべき4つの要素を指摘したいと思う。「相互結合性」「自然発生的な流れ」「長時間の遅れ」「ヒステリシス」である。平和追求の能力を高めたいという人は、皆この4つの力学を考えなくてはならない。4要素の影響を、気候変動と結びつけつつ平和に向けてどうするかを考えてみたい。

「相互の結びつき」。dennis-meadows茅先生が何年か前に提案された公式で、CO2の排出量は4つの変数が決めるというものがある。つまり、1)人口、2)ひとり当たりの資本、 3)1資本単位に必要なエネルギー、4)そのうち化石燃料が占める割合、である。従来、特に日本においては後者2つに焦点を当てて成果を上げてきた。しかし、 相互結合性を理解しないことには本質的な成功には至らない。複雑な問題を解決しようとする場合、ひとつの要素を変えただけでは他の要素が悪化し、全体的な効果は望めないのである。

2つ目「自然発生的な流れ」。例えば経済政策でいえば、税金が下がれば需要が向上し、需要が向上すれば、生産が上がる。それに伴い雇用が増え、それによって需要もまた上がっていく。これは気候変動にも敷衍できることで、気候におけるちょっとした変化が大きな好ましい変化に結びつく可能性がある。平和を構築しようとする人は、この「ポジティブ・フィードバック」について、充分理解する必要がある。

「長時間の遅れ」。CO2の排出量を減らしていけば、気候変動の問題はなくなっていくのではないかという考え方があるが間違っている。「長時間の遅れ」という概念は、気候変動についていえば、CO2の排出を止めてもその影響が霧消するまでに非常に長い時間がかかるということである。平和についても同じことがいえる。和平工作を講じても、成果を達成するまでには長い時間が必要となる。平和構築には子供への教育から始めなければいけないが、その努力の途上で状況が悪化する場合もあるのだ。

「ヒステリシス」。ハイテクのレーシングカーがあったとする。その部品10%を取ってしまったとき、以前の90%のスピードで走るだろうか?いや、まった く走らない車になってしまうだろう。それこそがヒステリシスである。いったん損なわれた気候変動や生態系を以前のレベルに戻したとしても、かつての状況を完全に取り戻すことはできない。平和を構築しようとする人は、このヒステリシス効果を考えていかねばならない。

「成長」はかつてはよき政策だった。しかし現在では、それは新たな消費増大を目的としつつも、既存の問題を解決するものではない。成長は資源を枯渇させ、コストを増大させる。

平和を目指す人々は、これまで私が述べてきた力学(ダイナミズム)を考えていかねばならない。そして強調したいのは、皆さんの行動こそがことば以上に大きな影響力を持っているということだ。平和についていくら語ったとしても、行動が同じであったとすれば何の変化も生れはしないのだ。

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