バラエティ豊かな授業が魅力 - 国連大学大学院

 

国連大学が昨年9 月にスタートさせた「大学院サステイナビリティと平和研究科」(UNU-ISP 大学院)。
世界各国から84 名の応募があった中、難関を突破して5 名の学生が第一期生として入学しました。まもなく1 年目の課程を修了するソチアット・ペンさん(カンボジア出身)とプラディ・タパさん(ネパール出身)に学生生活の様子や印象をうかがいました。

JFUNUニュースレター 2011年8月号より

―― 国連大学大学院に入学するまでの経緯を教えてください。

ペ ン:私はカンボジアにある王立プノンペン大学の環境学部で学んでいましたが、もともと教育水準の高い日本に留学することが夢でした。その希望を両親に告げたところ、最初は驚きながらも、大いに賛成してくれました。それで、プノンペン大学を卒業後、立命館大学の大学院国際関係研究科(修士課程:京都市)に交換留学生として入学しました。立命館大学では環境関係や開発政策を中心に1 年間勉強しましたが、この分野の研究をさらに続けていきたいと考え、次のステップとしてふさわしい進路について、インターネットで情報収集をしていたのです。その時に、国連大学が大学院を創立することを知り応募しました。

タ パ:ネパールの大学を卒業後、韓国の大学へ1 年間留学していましたが、日本の大学で学びたいと考え、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学の2 年次に編入しました。そこで3 年間、国際関係学を勉強した後、続いて早稲田大学の大学院アジア太平洋研究科に入りました。
 この大学院に在学中、国連大学が主催する大学院共同講座(UNU Joint Graduate Courses)を3 ヶ月ほど受講したことがきっかけとなって、新たにできる国連大学の大学院に興味を持つようになりました。立命館や早稲田でずっと「安全保障」の問題を研究してきましたが、UNU-ISP 大学院でさらに掘り下げた研究をできると思いました。

―― 大学院ではどういう勉強をしているのですか?また授業はどのように行われていますか?

ペ ン:スリカンタ・ヘーラト国連大学シニア・アカデミック・プログラム・オフィサー(教授相当)をアカデミック・アドバイザー(指導教員)として、「洪水の防止策」や「雨水資源化」などをテーマとして研究をしています。事前に予習として関連資料や文献を十分読み込んだうえでレクチャーに臨み、講義後、課題が与えられ、自分の考察を加えたエッセイを提出する。それについて担当教員よりコメントやフィードバックを受ける(クリティカル・リフレクション)という形で基本的に授業が進行します。課題は毎
週のように与えられています。
 この大学院で特徴的だと思えるのは、教授陣の専門分野や授業内容が多岐にわたっているということ。講義は当然のことながら、リサーチ・セミナーでも多くの教員が担当してくれます。単線的でなく、教授メソッドやテーマに対するアプローチ方法に多様性があるので、毎回の授業で、何らかの新しい発見が生まれます。

タ パ:私は、「人権」や「人間の安全保障」をテーマに研究しています。指導教員はヴェセリン・ポポフスキー国連大学シニア・アカデミック・プログラム・オフィサーです。ソチアットが言ったように、バラエティに富んだ授業内容が、UNU-ISP 大学院の魅力だと思います。従来は研究対象も限定的で、特定の問題にフォーカスされがちだったのですが、国連大学では自分の専攻である人権や安全保障はもちろんのこと、国際関係学の幅広い分野や、さらに気候変動・地球変動の様な環境分野もコア・コースとしてターゲットにしている。こうしたマルチ・プログラムによって、将来のキャリアの選択肢も広がるだろうと考えています。
 さらに、UNU-ISP 大学院では授業時間以外でも、教員の個別指導がとても丁寧なことが嬉しいですね。授業のときには思い浮かばなかった疑問や質問も、後で聞きにいくと親切に答えてもらえる。まだ在学生が少ないせいもあるのかもしれませんが。

―― 授業はすべて英語ですね?

ペ ン:そうです。私の母国語はクメール語で、英語は高校から勉強を始めました。

タ パ:ネパールでは、小学校から英語の授業がありました。高校卒業後、母国を離れてから英語が上達したように自分では思います。

―― 授業のない時間はどのように過ごしていますか?

タ パ:国連大学へは、授業日を中心に週に3-4 日来ていて、授業以外の時間はリサーチ・ルーム(自習室)で大概、課題やレポートの作成に時間を費やしています。最終的に自分の研究テーマに沿って修士論文を書き上げるわけですが、最近はそのためのプレゼンテーションの準備に追われています。このプレゼンテーションは、指導教員をはじめとした全教員の前で、自分の1 年間の研究成果やリサーチ・トピックスを提示するのですが、それに対するアドバイスやフィードバックをもらったうえで、本格的に修士論文の作成にとりかかります。
 気晴らしとしては、今住んでいる学生寮にテニスコートがあり、無料でプレーできるので、寮の仲間とテニスをしたりしています。また同じ寮に住む友人家族と一緒に食事をしながら、将来のことやとりとめのないおしゃべりをして楽しんでいます。

ペ ン:私も授業以外の時間は、UNU の自習室で課題作成をしていることが多いですね。国連大学ではいろいろセミナーやシンポジウムが行われますので、そうした会議にも積極的に参加しています。勉強ばかりしているとストレスも溜まるので、リラックスにも努めています。サッカー観戦をしたり、カンボジア・スチューデント・アソシエーションというカンボジア人の親睦団体の幹事として、外国人も交えたパーティーを企画したりしています。

―― 3 月11 日の震災のときは?

ペ ン:大学院が春休み中で、一時カンボジアに戻っていたのですが、地震の前日に日本に戻ってきました。あのときは寮に居ましたが、経験したことのない大地震に遭遇し大変ショックを受けました。夜までずっと余震が続き、いつも揺れているような錯覚に陥りました。その後、京都の友人のところに1 週間ほど滞在していましたが、その間も国連大学の事務局が、放射能関連や日本政府の発信情報を送り続けてくれて、東京は安全だということで戻ってきました。
 被災地を中心として、震災後の日本人の対応が外国から称えられていましたが、一時的な食料不足になりながら、ものの値段がほとんど高騰しなかったことには感心しました。これがカンボジアや他の国であれば、ここぞとばかり何でもすぐに値上がりしたことでしょう。ともかくもこの震災を目の当たりしてこのような時にどういう対応が必要かということも勉強になりました。

タ パ:私はネパールに帰っていましたが、親戚が電話を掛けてきて、「日本が大変なことになっている、テレビを見なさい」と知らせてくれました。惨事が東北地方で発生したことを知り、すぐに仙台にいる友人の安否を確かめようとメールを出しましたが、暫くは連絡がとれず、5 日後にやっと無事であることを確認できました。
 日本政府の対応の不手際がいろいろ指摘されていますが、やることが山ほどある状況では無理もないことではないかと思います。ネパールでこれだけの災害が生じたら、国中がもっとパニックに陥ったことでしょう。私も日本人の被災者の礼儀正しく冷静な姿勢には感銘を受けています。

―― ペンさんは、「Toyota-Sumitomo Chemical Scholarship for UNU」という奨学金を受給していますね?

ペ ン:とても有難く思っています。トヨタ自動車さんと住友化学さんのサポートがなければ、国連大学で勉学に専念することはできませんでした。心から感謝しています。

―― 最後に大学院修了後の希望を聞かせてください。

ペ ン:できればUNU-ISP 大学院の博士課程へ進みたいと思っていますが、その前に母国に一旦帰り、社会人としての経験を2、3 年積んだうえで改めてトライしたいと考えています。

タ パ:私もこれまで大学、大学院とずっと勉強を続けてきたので、学んだことを生かして、ネパールで国際機関か政府系機関で働けたらと思っています。そのうえで、ソチアットと同じように大学院の博士課程へ進むことを視野に入れています。

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