「戦争」「平和」研究は"究極の人間学"
二村まどか国連大学学術研究官インタビュー - JFUNUニュースレター2010年11月号より
国連憲章は国際連合の第一 の目的を、「国際の平和と安全を維持すること」と定めています。平和に対する脅威を除去し、平和的手段によって紛争を解決する役割こそが、国連の存在理由です。
国連のシンクタンクとして国連大学は、武力紛争や人権侵害、組織犯罪、兵器の拡散、テロといった平和への脅威に対処するための実践的な研究と人材育成を進めています。近年では、気候変動をはじめとした地球環境の変化や経済のグローバル化も安全保障と密接な関係を持ち、「平和研究」はいっそう複雑さを増しています。
二村まどかさんは、国連大学の学術研究官として平和や安全保障の問題をテーマに、研究・教育やさまざまなプロジェクトの企画・運営に取り組んでいます。その活動についてお話をうかがいました。
「平和学」と「戦争学」
――「平和」や「戦争」を研究されるきっかけは何だったのでしょうか?
二村大学では法学部法律学科に入学しましたが、元々は人間の営みや社会を写し出す鏡としての法律を勉強したいと思ったのを覚えています。法律そのものというよりも、「法社会学」や「法思想史」といった分野を学びたかったのだと思います。
入学してすぐ関心は国際問題に向いていったのですが、
Profile of Dr. FUTAMURA +-国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)アカデミック・プログラム・オフィサー、人権と倫理研究部長。京都府出身。同志社大学法学部卒業後、ロンドン大学・ London School of Economics and Political Science国際関係学修士課程修了(修士)、ロンドン大学・キングスカレッジ戦争学研究科修士課程修了(修士)、同博士課程修了(博士)。ロンドン大学・キングスカレッジ客員研究員、同志社大学嘱託講師を経て、2008年1月より現職。専門は国際関係学、国際刑事裁判、平和構築、移行期の正義。著書に『War Crimes Tribunals and Transitional Justice: The Tokyo Trial and the Nuremberg Legacy (London: Routledge, 2008)』等私が在学していた当時同志社大学法学部には、国際法のゼミナールがありませんでした。それで3 年生になったときに、政治学科に開設されていた「外交史」のゼミを受講しました。毎週の課題文献も多く、3年の後半から英語の文献を読まされるなど、とてもハードなゼミでしたが、2年間随分鍛えられました。
3年生のときのゼミ論文では、アメリカ人の原爆観をテーマに取り上げました。よく言われるようにアメリカでは、原爆投下は太平洋戦争を終結させ、結果として「100万人」もの命を救ったとする考えが根強くあります。しかし同じアメリカ人でも、世代間によるギャップもあります。ひとつの歴史的出来事に対して社会によって、そして世代によってもさまざまな捉え方があり、それを認識・理解することの大切さと同時に、互いに受け入れ合うことの難しさも感じました。このゼミを通じて国際関係学、特に戦争と平和の問題をもっと広い視野から勉強したいと思うようになりました。
――それで大学卒業後、留学されたわけですね。
二村その当時、日本では国際関係学を専門的に学べる大学院が今ほどたくさんありませんでしたし、また幼い頃、両親の仕事の関係でイギリスに1年ほど住んだ経験もあったということもあり、イギリスで国際関係学を専攻しようと思い留学しました。ただその時点では、研究者を目指す気持ちはありませんでした。
――修士・博士課程で「戦争学」を専攻されていますが、「平和学」と「戦争学」との違いは何でしょうか?
二村「平和学」は平和の追求を念頭に置いた学問で、平和を創り出すために具体的にどうしたらよいかというプラクティカル(実践的)な側面を持っています。それに対して私が在籍した「戦争学」研究科では、「戦争という現象」そのものに焦点を当てさまざまな研究がなされていました。必ずしも戦争遂行のための研究ではなく、戦略論のほかにも歴史、倫理、法律、文学、地域研究などさまざまな視点から戦争にアプローチしていきます。
一つ目の修士課程で「国際関係学」を学ぶうちに、中でも武力紛争や武力行使の問題に関心を持ちました。なぜ戦争(武力紛争)は起こるのか。武力の行使によって何を追求するのか。先ほども述べたように、元々社会や人間のあり方のようなものに漠然と興味があったのですが、戦争という現象を分析することは社会や人間のあり方を追究する究極の人間学のように思えたのです。ただ当時日本では、戦争や武力行使についての研究はまだタブーというような雰囲気があり、周囲からもたびたび、なぜ戦争学?と言われました。ですが、北朝鮮の問題、9.11テロ事件などを経て、こういったことを学ぶことの大切さは広く認知されるようになったと思います。2006年に帰国したときには留学前と違い、いろいろな方から「大切なことを勉強してきた」と言われました。
時代と共に変化する国際刑事裁判のあり方
――具体的に平和や戦争のどんなことを学ぶのですか?研究内容の一端を教えてください。
二村キングスでの修士課程で面白いと感じたのは、政府と軍隊の関係(政軍関係)や社会と軍隊の関係といった軍事社会学の教科でした。修士論文では、昨今活発化している平和支援活動に軍隊が従事する上での制度的、文化的チャレンジについて取り上げました。また博士課程では、戦争犯罪と国際刑事裁判について研究をしました。博士課程での指導教授は、旧ユーゴ紛争の著名な研究者で、国連の旧ユーゴ戦犯法廷に事実関係を整理するために証人として出廷しました。この教授の影響で、私も国際刑事裁判と国際安全保障との関係について研究を進めるようになりました。
国連によって作られた数々の国際・混合刑事法廷には、戦争犯罪や人道に対する罪などの国際犯罪の責任者を裁くことで、国際平和と安全の維持に寄与することが期待されています。平和と正義、法律と政治という、国際政治の場で互いに競合すると考えられてきた要素が、国際刑事裁判では相互補完的に理解されているのです。
旧ユーゴスラビアやルワンダの紛争の場合のように、国連の安全保障理事会がその強制措置として、国内裁判より優越性がある国際刑事法廷を設立した背景には、集団殺害(ジェノサイド)や「民族浄化」等の重大な国際人道法違反の責任者を追及することで、国際の平和と安定、そして紛争後の平和構築と和解を実現するという目的がありました。しかし一方で、ユーゴやルワンダの法廷に対しては、国連主導の審理が現地の人々のニーズと乖離しているという批判もあります。その反省にたって、シエラレオネの内戦後のケースでは安保理は一歩引き、国連と当該国同意のもとで、国際、国内要素の混在したいわゆる「混合法廷」という形態が生まれました。国際社会の強みと当該国内のニーズを加味した新しい枠組みが生まれたわけです。国際刑事裁判のあり方も時代や国際社会の状況とともに変容しています。
1998年にローマ条約により設立された国際刑事裁判所(ICC)とは別に、現在まで国連が関わる形で、旧ユーゴスラビアとルワンダの紛争、シエラレオネやカンボジアのケースなどに関して、計7つの刑事法廷が設立されている。
最近の研究テーマとしては、「移行期の正義」を平和構築の中で具体的に位置づけることを試みています。「移行期の正義」とは、内戦状態から平和へ、独裁政権から民主体制への移行期にある不安定な社会において、過去にあった戦争犯罪や多大な人権侵害にどう取り組むのかという問題です。単に被害者の正義といった感情的な問題だけでなく、新体制を確立するために旧政権との関係をどう図るのかといった現実的問題が絡み合い、非常に複雑な要素をはらむテーマです。
――そうした研究と同時に、国連大学の職員としてさまざまなプロジェクトを企画されていますね。
二村国連大学のプロジェクトとして2009 年10月にはガーナで、さらに今年6月にはボスニアのサラエボで、平和構築の実務家や研究者を交えたワークショップを企画・開催しました。現地の専門家の視点、意見を重視した内容となるよう腐心しましたが、サラエボではワークショップの成果をサラエボ大学の学生やメディアに公開して好評を得ました。国連大学は「学術の架け橋」となることをその使命のひとつとしています。世界各国の学術研究機関とパートナーを組み、共同プロジェクトを展開することは国連大学の重要な活動のひとつです。
また外務省の委託により広島平和構築人材育成センター(HPC)が、日本において平和構築分野で活躍する人材を育成するプロジェクトを行っています。国連大学ではHPCと協力し、「平和構築基礎セミナー」のプログラムを策定し、国連大学本部で実施しています。
こうしたプロジェクトの企画、運営を通じて平和構築の問題に対する視野が大きく広がりました。
――さて国連大学のサステイナビリティと平和研究所では新たに大学院を開設し、先生も教官として学生を指導されています。
二村新大学院では授業科目として、「国際平和と安全保障」「グローバル世界における人権」を担当しています。今年は初年度で入学生は5名でしたが、今後増えていく予定です。将来的には博士課程も設置されます。それに伴い世界各国からさまざまなバックグラウンドを持つ学生が集まってくるかと思います。現在でも、安全保障をずっと専門にしている学生もいれば、理系専攻の学生もいます。こういった学生たちに、平和、環境、開発の問題の重要性とそれらの関係性について教えるのは簡単ではありませんが、毎回授業ではたいへん活発な議論がなされ、教員としても大変多くの知的刺激を受けています。