アジアにおける環境汚染モニタリングプロジェクト

JFUNUニュースレター2009年12月号より

今年9月にニューヨークで開催された国連気候変動首脳会合で、鳩山首相は温室効果ガスについて、「日本は2020年までに1990年比で25%削減を目指す」ことを表明しました。

また、2010年は国連が定めた「生物多様性年」。愛知県名古屋市がホスト開催地となり「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)が行われます。同会議では、世界各国から専門家や関係者が集まり、生物多様性の保全と持続可能な利用が議論される予定です。

日本から世界へ向けて発信される地球環境への取り組みが国内外で注目される中、国連大学「サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)」でも、"持続可能な開発と生態系保全を可能とする総合的なアプローチ"を重要な研究テーマとして、多彩な活動を展開しています。国連大学が島津製作所をパートナーとして行っている「アジア沿岸水圏における環境モニタリングとガバナンス」プロジェクトもそのひとつ。同プロジェクトは長年にわたりアジア諸国の環境管理に関わる人材の育成に大きな貢献を果たしてきました。その内容や意義について、プロジェクトマネージャーの国連大学学術研究官 飯野福哉さんにお話をうかがいました。

アジアにおける環境汚染モニタリング

――昨今、専門家だけでなく一般の人々の間でも環境問題への関心と危惧が高まっていますね。

飯野1960年代初頭に、飯野福哉さん
国連職員を志したのは高校生の頃。「好きな化学を通じて、将来、アフリカやアジア諸国の役に立てればと考えていました」
アメリカの生物学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を出版し、人間の社会・経済生活によって発生する有害物質が、地球環境や生態系に深刻な破壊をもたらしていると警鐘を鳴らしました。これは当時大きな反響を呼び、その後、本の中で指摘された弊害がより顕在化したことがありましたが、最近では洗練された環境対策がグローバルに推進されています。しかし発展途上国においては、さまざまな課題が生起しています。

たとえばDDT(農薬の一種)の影響で、卵のからが薄くなった猛禽類の繁殖力が弱まったり、海水に溶け込んだ有害物質が、海洋哺乳類の体を蝕んでいく現象が生じています。食物連鎖によって、そうした有害物質は生物の体内に蓄積しやすいという側面もあります。人間の生活域とは遠く離れた南極の動物にも影響が及んでいることが確認されたりしています。

――環境汚染や生態系の乱れが、私たちの日常生活に及ぼす具体的な影響としては?

飯野工業用水や農地から排出された汚染物質が、その地域で生産・加工された食品等に直接的・間接的に侵入し、地域の人々だけでなく、都市部、さらにグローバル化した社会にあっては、外国の人々の健康にも被害を与えることとなるのは、大きな問題としてあらためて指摘されるところです。

――有害物質の排出を世界的に規制した条約が、ストックホルム条約ですね。

飯野毒性が強く、難分解性、生物蓄積性、長距離移動性、人の健康又は環境への悪影響が高い化学物質をPOPs(Persistent Organic Pollutants、残留性有機汚染物質)といっています。PCB、DDT、ダイオキシン等21種類の物質が定められていますが、こうした物質については、一部の国々だけで個別に対策を行っても地球環境の汚染防止には不十分であり、国際的に協調して廃絶、削減を行うことが必要になります。そこで2001年に、「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」が採択され(2004年発効)、国際社会が一致協力してPOPsの根絶を目指そうということになりました。現在、日本を含む160カ国あまりが採択していますが、ここに至るまでには、国連大学を含めた国連各機関の環境活動の成果によるものが大きいといえると思います。

――飯野さんがリーダーとなり、島津製作所をパートナーとして実施しているプロジェクトは、アジアの海洋や河川におけるPOPsのモニタリングをテーマとしていますね。

飯野ストックホルム条約を遵守するためには、まず汚染の状況や度合いなど、現状を科学的な方法で正確に監視・把握=モニタリングすることが必要になります。その調査方法としては、大気中や土壌の汚染状況を調べる方法もありますが、このプロジェクトでは分析が比較的容易で、精度の高い結果を得られるという理由から、人間の生活と直結した河川、海水などの水質調査とモニタリングを中心に行っています。

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意義が大きい官民の協力による人材開発プロジェクト

飯野ところで世界的に見ればPOPsの濃度は下がってきていて好ましい傾向といえるのですが、前述のとおり経済活動が活発化し、人口増加が著しい発展途上国などでは、POPsの排出状況は深刻化していく可能性があります。また農薬の中には、マラリア対策などのために条約がまだ規制を限定しているものもあります。複雑なのは、人為的な要素以外にも人間の日常的な営みの中で、どうしても非意図的に生じてしまう有害物質もあるわけで、現実にはそうした対応も検討課題となっています。経済発展が特に著しい中国、インドでは、こうした問題が深刻です。途上国が、ストックホルム条約を遵守していくのは、なかなか大変なことなのです。

国連大学では、ストックホルム条約の発効以前から、有害物質の排出問題を継続的に研究対象としてきましたが、特に1995年から島津製作所と共同で、経済発展や人口増加による環境汚染の弊害が懸念されるアジアの国々(現在では中国、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイ、ベトナム、パキスタン、インドの11カ国が参加)の河川、海水=水圏 を中心として、環境モニタリングのプロジェクトを実施してきました。それらの国々で環境問題に取り組む研究者や大学教授のPOPsのモニタリングや分析能力をどうやって開発し、高めていくかということが私たちの一番のテーマとなっています。

島津製作所は、最先端の分析機器の開発と応用技術の提供を国際的に行っている企業です。島津製作所からは、ガスクロマトグラフ質量分析器という分析装置をアジア諸国に無償で提供していただいています。国連機関である国連大学が、島津製作所のような民間企業と提携するいわゆる「官民パートナーシップ」によって、開発途上国の人材開発を主とした支援を行うことは、大きな意義があると考えています。

――環境モニタリング技術のトレーニングは具体的には、どのように行われているのでしょうか?

飯野各国には国連大学、当該政府と連絡を取りながらこのプロジェクトを管理しているコーディネーターがいますが、そのコーディネーターが研修生として日本に派遣する研究者や化学者を選びます。研修生は、3日間-6日間程の日程で集中的なトレーニングを島津製作所の研究所等で行います(海外で行うこともある)。トレーニングはかなり専門的な内容になりますが、簡単にいえばガスクロマトグラフ質量分析器などの装置を使用し、水試料から複雑な妨害物を取り除いてPOPsを分離させ、検出します。それらを定量化したうえでさまざまな科学的分析を行います。島津製作所が開発した優れた装置や機器を使用できるとともに、島津の関係者の方々の献身的な努力や指導、支援があって、このプロジェクトは推進されてきました。

各国の参加者たちは、トレーニングで得た技術や知識を母国に持ち帰って、具体的な環境モニタリングやガバナンス、さらに政策的な対応も含めた環境汚染対策に活用しています。さらに年間を通じてアジア各地の大学等で、各国のプロジェクトコーディネーターが主導して、シンポジウムやワークショップを開催し、プロジェクトの成果を発表しています。

発展途上国がストックホルム条約を遵守するための橋渡し役を、島津製作所や各国のコーディネーターとネットワークを構築しながら、私たち国連大学が中心的に担っているのだと考えています。アジアの研究者や化学者の方々から、日々の自分の活動に対して感謝のことばやお礼を述べられるときに、このプロジェクトを続けてきてよかったなと思いますね。

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